アノニミティ無名であることは、D.A.プログラムの霊的基礎である。
それは各個人よりも原理を優先すべきことを、つねに私たちに思い起こさせるものである。
- D.A.の伝統12アノニミティはD.A.の回復のプログラムにとって重要な原理で、時と場合によってその意味することが異なるものです。
個人のレベルでのアノニミティとは、
D.A.メンバーはミーティングで会った人の名前や分かち合われた内容を口外しない、ということを意味します。
この安全策により、全ての仲間が強迫的買い物・浪費・借金依存者であることを知られずに済み、
分かち合ったことが漏れ伝わったりしないことが保証されるのです。
このことは私たち全てにとってとても重要ですし、とりわけ新しい仲間が不安に思うことでもあります。
メディアにおけるアノニミティとは、私たちは出版物やテレビ、
映画等、いかなるメディアでも自分がD.A.のメンバーであることを公表しない、ということです。
ここでアノニミティがもたらすのは、共同体において全ての仲間が平等であること、
そして私たちの回復にとってとても重要な、謙虚さを更に向上させる、ということです。
スピリチュアルな原理のうち、アノニミティは謙虚さと感謝の心を実践することの一環です。
「各個人よりも原理を優先」というのは、私たちが平等であること、
そしてハイヤー・パワーは分け隔てなく私たちの誰を通じてでも話すことができる、
ということを信じる、私たちの意思表明です。誰もプログラムの権威として話したりはしません。
共同体での役割が何であろうと、スピリチュアルな原理を他の仲間より優れた形で体現しているということにはなりません。
各々のアノニミティ強迫的な買い物・浪費・借金依存症者がD.A.にやってくる時には、たいてい自分の身の上を恥じているものです。
新しい仲間は自分の問題を暴かれるのではないか、と怖れているかもしれません。
お金の問題を抱えて、自分の胸の内に秘めているものです。
しかし、私たちのプログラムでは、自分の秘密を分かち合うことが自分の人生の破滅的なパターンを変えることに役立つ、
としています。秘密を外に漏らさないことはアノニミティの一つの側面であり、重要なことです。
これによって自分の問題を分かち合うことがし易くなるのです。それが守られないのであれば、
仲間はミーティングに参加することや、そこで分かち合うことを避けてしまうでしょう。
ミーティングは私たちの回復にとって欠かせないツールですから、
私たち全てにとって安全な場所でなければなりません。
D.A.ミーティングでは、名字を伏せることで仲間のアノニミティを尊重する、ということが推奨されています。
とは言え、仲間同士で常に名字を伏せていなければいけない、ということではありません。
場合によっては、名字を明かすという選択もあります。D.A.のメンバーであることを明かす個人的に、
友人や家族に対して自分がD.A.に参加していることを明かすメンバーもいます。
他人にメンバーであることを告白する際には、相手に対して、
自分の話は、聞いてほしいと思って選んだ相手にだけ話すものです、と伝えるといいようです。
また、メディアではメンバーであることを明らかにしない、ということも伝えましょう。
D.A.プログラムはひきつける力を持ったものであり、先行く仲間の姿や行いを見て、
それにひきつけられてミーティングを訪れる新しい仲間も多いのです。
ですから、助けを必要としている人がいたら、その人に対して自分がD.A.のメンバーであることを明かすのは適切なことだと、
多くの仲間は考えています。とは言え、これは全くもって各々に委ねられた選択です。
迷ったら、仲間やスポンサーに相談しましょう。
仲間のアノニミティを尊重する個人レベルでは、もしミーティングに友人や知り合い、
有名人がいるのを知っても、それを他人には知らせない、ということがアノニミティの順守となります。
その人たちも、私たちと同じ理由でそこにいるのです。
その人たちがミーティングに参加していることを知られないでいる権利を尊重することで、
自分の権利も同じく尊重されるのです。アノニミティは分かち合う人についてと同様に、
その人が話す内容についても求められます。
ですから、それぞれの身分を明かさないことに加えて、話された内容を口外することもしません。
また、ミーティングの後で仲間の噂話や陰口がないようにします。
メディアにおけるアノニミティ1976年に始まって以来、D.A.ストーリーは新聞や雑誌、
テレビで取り上げられてきました。こうしたことはメッセージを運ぶのにとても有効な手段なので、
その度に新しい仲間が増えてきました。D.A.の見解では、メディア対応の際には、名字を名乗らないことと、
顔写真などを決して掲載または放映されないようにすることでアノニミティが保てると考えられています。
この伝統は、メディア側ではなく、個々のメンバーの責任で守るものです。
多くのD.A.の仲間がメディアで話し、それが記事になりました。
その度にD.A.は個人のアノニミティの保護を前もって強調してきました。
例えば、あるミーティング場に地域のニュース担当チームがミーティング開始の直前に現れて、
ミーティングを収録していいか、と言ってきました。
もちろん、これはメディアに対するアノニミティの伝統にそぐわないので、
カメラクルーには引き取ってもらいました。
しかし、後日改めてそのテレビ局と打ち合わせて、
自発的に参加してくれる仲間によるミーティングの収録に応じることになりました。
その収録に際しては、参加する仲間の顔は決して出さないこと、名字は開示されないことを約束しておきました。
これは、アノニミティの伝統を損なうことなく、一般社会に対してプログラムを紹介する方法として適切なやり方です。
私たちが社会に知らしめたいのは、D.A.という集まりであり、
そこに集まる個人のメンバーではありません。出版物、ラジオ、テレビ、映画等でのアノニミティの伝統により、
メンバーはD.A.を代表して意見を述べたり、D.A.の名の下に資金集めをしたりするわけにはいかないのです。
D.A.の仲間は、このアノニミティの伝統を大切に守ります。なぜならば、
私たちの経験上、そして他の12ステッププログラムの共同体の経験からしても、
アノニミティは共同体に繁栄をもたらすものだからです。
DAに足を運んできた人の個人のプライバシーは確実に守られるよう、わたしたちは、お互いに最大の努力を払っている。
お互いのプライバシーを守る約束も、アノニミティの意味の一つであり、
DAミーティングで一人一人が自分の飲酒のトラブルにまつわる話ができるのも、
そこで話された個人の秘密をわたしたちは明かさないからである。
わたしたちは、そこで分かち合われた回復の話だけを自分のものにしている。
グループの中では、自分の姓名を名乗ることも、連絡先を教えることも、
一切明かさないことも、その人の自由である。どこまで自分のプライバシーを明かすかは自分で決められる。
DAメンバーとしてマスコミに出る場合、顔を見せることと姓名を名乗ることはしない。
DA以外の機関が主催する公の会合でDAメンバーとして話をする際も、フルネームは出さない。
いずれの場合も、DAを代弁するのではなく、一人のメンバーとして話をする。
なお、DAメンバーであることを表明しない限りは、マスコミに出ても、
公の場で自分の姓名や立場を明かしても、伝統に反するものではない。